寒すぎて体が動きません。


by hirajun-51
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「たまに行くならこんな店」・・・今まではミニスカポリスに逮捕される店や、ダンシングタイムがある店など、かなり遊び心の入った場所を紹介してきましたが、今回は和のテイストが入った落ち着いた感じの店を紹介したいと思います。

その名はとうふ屋うかい。様々な料亭を展開しているうかいグループのとうふバージョンといった所でしょうか。テイクアウト出来るこの店のざる豆腐を初めて食べた時、あまりのクリーミーな舌触りに 「これが豆腐か!?」 と一人美味しんぼをしてしまいました。最近でこそ、美味しい豆腐をスーパーなどでも買う事ができますが、この豆腐を食べた時は今までに食べた豆腐との次元の違いを感じました。(その後食べた男前豆腐もかなり衝撃的だったが)

私が行った大和田店は、何気に私の母校(大学)の近くでした。田舎なのか、そうではないのか非常に中途半端で、いかにも八王子というような場所にあるこの店は、門をくぐると江戸の町にタイムスリップしたような建物を目にする事が出来ます。建物の中は非常に情緒ある作りになっていて、また庭園も見事でした。(つーか情緒とか見事ってどんな感じなんだよ!?と思う方はこちらをどうぞ)                      
         http://www.ukai.co.jp/oowada/shop.html


d0040708_155486.jpg私が食べたのは3680円の豆水とうふコース。前菜はなかなか芸の細か作りで(発言がだんだん美味しんぼちっくになっている私・・・)目で見て良し。味も良しという感じでした。そしてメインの豆腐の鍋も、トロ~リとろける豆腐や目の前で作る湯葉が大変美味しく、とても満足しました。

私も年齢的に、いつまでもファミレス探検隊をやっているわけにもいかないので、こういう食事だけでなく庭園も楽しめる場所を発見できた事はうれしいです。まあファミレスの方が落ち着けるのは確かですが・・・  しかし値段も手ごろなのでちょっと豪華なランチにこの店はお勧めです。
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by hirajun-51 | 2005-07-30 00:55 | 私の美味しんぼ

大失敗・・・花火撮影

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毎年恒例の入間基地自衛隊の花火大会。基地周辺に住む私は毎日のように飛行機の騒音に苦しみながら生きているわけですが、この花火大会はそんな人達に対して、自衛隊が出来るせめてもの償いだと思います。

この写真は家からだとマンションなどの影響で、あまりよく見えないので裏にあるスーパーの屋上駐車場に行ってデジカメで撮影しました。やはり花火撮影は難しいです。三脚を使ってもこのとうりです。どう見ても何かの爆発にしか見えません。もう少し勉強しないとダメポですね。
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by hirajun-51 | 2005-07-28 20:58 | Photo

花、再び・・・

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              ネタがないので花で誤魔化します。
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by hirajun-51 | 2005-07-28 20:48 | Photo
d0040708_2148925.jpg プロレスリングノアの東京ドーム大会。久しぶりにテレビでプロレスの試合を見ました。(正確には録画したビデオだが)

 某メジャー団体の閑古鳥が鳴きまくりの東京ドーム大会と違い、見事に客席が埋まった今大会。試合カードも現段階で提供する事が出来る最高のカードが揃っていました。

私的に、それらのカードの中で一番印象に残った試合が小橋健太対佐々木健介です。

とにかくチョップ!チョップ!チョップの連発!チョップだけであれだけ観客を沸かせられるのはこの二人しかいないと思います。お互いの胸はミミズ腫れ。そこに八百長の攻防は存在していませんでした。

お互いヘビー級の体型であるのに華麗な空中技や様々なスープレックスを使用し、観客のボルテージは最高潮。気がつけば私もテレビの前で叫んでいました。(この姿は人には見せられない)

結果的に小橋が豪腕ラリアートで健介を沈めましたが、プロレス熱が完全に冷めていた私もこの試合を見て、プロレスの魅力を思い出しました。

その他、三沢対川田の再開マッチは昔の二人の名勝負を見ていた私としては、少し微妙な内容でした。ただ、もう二度と見れないと思っていたこの二人の試合を見れただけで満足です。

それと金丸対KENTAのジュニア選手権。この試合はある意味小橋対健介戦以上に凄い攻防でした。名勝負数え歌の始まりです。この二人に丸藤を含め、ノアの将来のエースは確実に育っていると思います。某メジャー団体と違いすぎる・・・つーか新日の事ですが・・・

このノアのドーム大会を見る限り、まだまだプロレスも捨てたものではないというのが分かりました。なぜノアのドーム大会がこんなに盛り上がり、新日のドームが見事なぐらい寒いのか新日の関係者にはよ~く考えてもらいたいです。

ノア「DESTINY 2005」 7月18日(月) 東京ドーム

本大会の満足度:
100% (久々にマジで面白かった。素晴らしい!)

私的MVP:三澤社長 
(よくぞここまでノアを大きくしました)

私的ベストバウト:小橋対健介戦  金丸対KENTA戦 
(二試合とも世界でトップレベルの攻防でした)

本日の塩:
棚橋 
(まあ相手の力皇にも、もう少し頑張ってもらいたかったのですが、棚橋は素質があるのだから、いい加減にドラゴン藤波の真似をするのはヤメロ!試合がつまらなすぎる!)

本日のワロス:解説の高山 
(高山の発言はかなりシュートだが、的を射ていて笑える)
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by hirajun-51 | 2005-07-23 21:20 | スポーツ
ハワイアンレストランTiki Tiki。私は学生時代にハワイに行った事がありますが、この店は現地よりもハワイっぽかったです。(なんだそりゃ???)

店内はまさに南国のイメージ。そしていきなり始まるフラダンサーズのダンシングショー。この時にフラダンサーズの一人と目が合うと、強引にダンスの輪の中に拉致されてしまいます。そしてお客さんも Let's フラダンシング!

私は一生懸命に目をそらして、何とか免れましたが、私達の隣の席にいたサラリーマンは目が合ってしまい、ダンスの輪の中へ・・しかし最初は照れながらも、次第に本人もその気になってきて、見事なダンスを見せていました。

d0040708_19451826.jpgここのメニューはやはり南国チックな食べ物が多く、その中でも私はパイナップル炒めご飯が大変気に入りました。(左の画像)

新宿店は私達が行った時の店員さんの対応が非常によく、私達はケーキを持ち込むという完全な反則技をしていたのですが、それを見た店員さんはなんと

「お皿とフォークをお持ちしましょうか?」

と聞いてきてくれました。こんな店なかなかありませんよ!

しかしそんな店員さんの善意を仇で返すのが私達の集団です。皿とフォークを持ってきてくれた店員さんが

「100円で会員になりませんか?」

と言ってきたのに対して、女友達が一言、

「結構です!」

6人ぐらいで食べに行っていましたが、誰一人会員にはならず。(たかが100円でも・・・)

このはっきりした態度が私達の特徴?なのです。(絶対に裏で店員は俺らの文句を言っていたに違いない)

まあ会員になってもまた行くとは限らないし・・・つーか実際に行ってないし。

けどこの店の食べ物はどれも美味しかったですし、店内の雰囲気も良かったです。けっこうお勧めですよ。
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by hirajun-51 | 2005-07-23 19:46 | 私の美味しんぼ
d0040708_2205182.jpg先日行なわれたK-1ワールドMAX。小林魔裟斗効果?で今やチケット入手が困難なイベントとなる程ほど、人気が爆発しています。(ちなみに私は小林魔裟斗が嫌いです) 

なぜか常設会場だった有明コロシアムからアクセス最悪の横浜アリーナに会場を移した今大会。(有明もアクセスは決して良くないが・・・)平日開催であるにもかかわらず、チケットは発売と同時に売り切れ。しかも客層は半分以上が女性だと言う。やっぱり小林魔裟斗効果なのだろうか???

試合は準々決勝から行なわれるワンデイトーナメント。私が一番嫌いな試合形式です。なぜかと言うと、毎回勝ち進んだ選手が途中で怪我をしてリタイアするのが定番になっているからです。優勝する為には一日3試合戦わなければいけないのはかなり無理があると思います。

そして今回は一回戦でマイク・ザンビディスを破った小林魔裟斗が負傷してしまいました。私的には小比類巻が準々決勝で敗れていて、期待していた魔裟斗戦が実現しなくなっていたので、別に魔裟斗が欠場してもなんとも思っていなかったのですが、会場にいる魔裟斗ファンの女性は泣くわ、悲鳴をあげるわ、大騒ぎ。それ以上に凄いのが、決勝戦となったアンディー・サワー対プアカーオの試合中に携帯のメールをいじくっている女性客多数。中には魔裟斗の欠場を知った瞬間に帰りだした奴等もいたらしいです。

しかし、そんな客よりもっと酷いのがTBSのテレビ編集。いくら視聴率が取れる魔裟斗が脱落したからって決勝戦をダイジェストで流す意味が分かりません。完全にやっつけ仕事です。ちなみに優勝はアンディー・サワー。ちょっとだけ棚ボタ気味だけど勝ちは勝ち。おめでとう。全体的には判定決着ばかりで、微妙な大会でした。唯一のTKOも安廣の流血によるレフェリーストップですし・・・それにジャッジのポイントの入れ方もいつも以上に訳が分かりませんでした。

今回、改めて魔裟斗人気の凄さはよく分かりましたが、やっぱり私的には奴は好きになれません。特に態度が・・・けど武田幸三にしても山本kidにしてもK-1ルールで魔裟斗に勝つのは無理だと思うし、小比類巻は波が激しいし、安廣はスパーリングで魔裟斗にダウンを奪われちゃっているし、そう考えるともう日本人で奴に勝てそうなのはいないんですよね。あとは新田さんか・・・ 外国人勢で魔裟斗潰しに期待出来るのは、サワー、プアカーオ、クラウス、ジョン・ウエイン・パー辺りですかね。特にジョン。ウエイン・パーはかなり期待しているんですがね。

とりあえず今回も恒例?の戦評をしておきます。

エステティックTBC K-1 WORLD MAX 2005~世界一決定トーナメント決勝戦~ 横浜アリーナ

本大会の満足度:35%(判定決着多すぎ)

私的MVP:アンディー・サワー 
(とりあえず優勝したから)

私的出直せ:小比類巻 
(敵に背中見せんな!)

本日の塩:ジャッジの奴等 
(なぜ同じ選手の判定に30点つけているジャッジと27点つけているジャッジがいるんだ!(判定は30点満点) いくらなんでも3ポイントも違うのはおかしすぎる!)

本日の打倒魔裟斗に期待:バンゲリングベイ新田さん
(新田さんなら何かをやってくれそうな気が・・・左上の画像は新田さんです)
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by hirajun-51 | 2005-07-23 03:09 | スポーツ

来る者は拒む!

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       私的にはまったく歓迎していません!(うそぴょーん!・・・死語)
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by hirajun-51 | 2005-07-21 23:48 | Photo

花火もどき

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            今年こそ本物の花火を激写したいです。
 
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by hirajun-51 | 2005-07-21 23:39 | Photo
 前回は橋本選手のプロレスラー生活の中で重要な意味を持った試合の事を書きましたが、実際はそれらの全てが必ずしもベストバウトだったとは正直言えません。

橋本選手は意外かも知れませんが試合を作るのが本当に上手い選手でした。それは対戦相手の技を受ける事により、相手の良さを最大限に引き出すという事であります。特に橋本選手は対戦相手が色物であればあるほど相手の良さを引き出して戦う事が出来る選手でした。

そして、私が思う橋本選手の生涯ベストバウトは下記の対決です。


橋本真也対栗栖正伸

1990年の8月1日~7日にかけて新日本プロレスは後楽園ホール7連戦を決行しました。これは当時のプロレス界ではとても画期的な事でありました。このシリーズの目玉は橋本のシングル6連戦で、その中でも栗栖正伸との一戦はマニア層から注目を浴びまくったカードでした。

フリーとして新日本プロレスのリングに上がっていた栗栖正伸は元々新日本プロレスでデビューした選手でした。その後はジャパンプロレス、全日本プロレスで活躍し、1度は引退しますが、旗揚げ当初のFMWで復帰し、「イス大王」の異名をとり、反則自由のストリートファイトマッチなどのデスマッチで大仁田やFMWの若手レスラー達をボコボコにして、ヒールレスラーとしての地位を確立しました。そして1990年6月にフリーとなって新日本プロレスに復帰したのですが、栗栖の過去を知らないファンにとってはかなりの色物レスラーに見えたと思います。

この橋本対栗栖の試合はテレビ放送がなかったので、私は週刊ゴングに当時載っていた記事でしか見ていないのですが、誌上で見ただけでも壮絶な試合だったという事がよくわかりました。栗栖の技は基本的にイス攻撃か蹴る殴るだけでしたが、この日の栗栖はいつもにも増して激しくイスを橋本の身体に叩き込んでいきました。しかし橋本はその攻撃を受けきって、逆襲とばかりにキックの連打で栗栖を人間サンドバック状態にして、(この頃の橋本のキックは速くて重い危険な蹴りでした)最後はDDTでフィニッシュし橋本が勝利を収めました。

なぜこれがベストバウトなのかと思う人は多いかもしれませんが、この橋本戦より前の栗栖の試合は反則裁定が多く、試合になりませんでした。それは対戦相手が栗栖の能力を引き出す事が出来なかったからです。しかし橋本はたとえ栗栖の技が反則であろうと、それを完全に受ける事により、栗栖の能力を最大限に引き出し、さらに自分自身の能力も最大限に出した結果、観客の心を掴むことが出来、この試合がベストバウトと呼ばれるようになったのでした。

この試合で橋本は栗栖の徹底したイス攻撃を膝にくらい、それが原因で橋本はそれから先ずっと膝痛と戦う事になってしまいます。一方栗栖はその徹底したイス攻撃が観客に認められ、大声援を浴び、観客の温かさに感動してヒールであるにも関わらず試合後に泣いてしまうというアクシデント?がありました。さらに凄いのは試合が終わって、橋本が控え室に帰った時に控え室前の廊下に一人の子供が凄い顔つきで(半泣き)橋本の事を睨んでいました。その子供とは他ならぬ栗栖のお子さんだったのです。この場面は栗栖家の絆をリアルに見る事が出来ました。ハッスルやWWEなどのように最近は舞台裏のシーンが重要視される団体が多いですが、それらは台本があるわけで、この栗栖のお子さんの行動は本人の意思で動いた本物のドラマなのであります。最近のプロレスはこのような舞台裏のガチンコのドラマがなくなってきたからつまらないんだと私は思います。(ちなみに橋本はこの試合が行なわれる前は、栗栖のお子さんが会場に来ている時はよく遊び相手になっていたらしいです)

先程も言ったようにこの試合はテレビ放映がありませんでした。最近では裏ルートでネット上に流れたりしていたのですが、7月27日発売の週刊ゴングになんとこのDVDが付録としてついてくるらしいです。元々この企画は橋本選手が生前の時から企画されていたものですが、運命のイタズラか、このDVD付録の予告記事と一緒に橋本選手の死去がゴング誌上に載る形になってしまったのは本当に複雑な気分です。


あとがき

私は特別橋本真也選手のファンではなかったのですが、そんな私でもこんなに橋本選手の思い出を色々と語る事が出来るのは、それだけ彼がプロレス界でたくさんのドラマを作ってきたからだと思います。少しでもプロレスファンが増えるようにと、バラエティー番組や映画にも出演するなど、とにかくプロレス界の事を他のどのレスラーよりも考えて行動していたのが橋本選手だったと思いますし、だからこそ現在落ち目といわれるプロレス界が巻き返しをはかる為には絶対に欠かすことが出来ない選手だったのです。

ロスから帰国したアントン総裁は荼毘に伏された橋本選手の骨壷に向かって「元気ですか~!」と発したらしいです。私はその発言を聞いた時「またアントンのパフォーマンスかよ・・・」と思いましたが、冷静に橋本選手の性格と考えると、彼に暗い事は似合わないと思いますし、破壊王の異名のまま元気に新たなる旅に出てもらいので、そう考えるとアントン総裁の発した言葉はあながち間違ってはいなかったのかなと考え直しました。

巨星墜つ。橋本選手長い間の選手生活お疲れ様でした。安らかにお眠り下さい。
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by hirajun-51 | 2005-07-18 15:21 | スポーツ
今回は橋本選手の思い出の試合を挙げていきたいと思います。
 
橋本真也対長州力

闘魂三銃士の中で一番最初にシングルマッチで長州に勝ったのは橋本でした。その後は何度もシングルマッチで当たっている二人ですが、私が一番思い出に残っているのは2001年1月4日の東京ドームで行なわれた試合です。新日を解雇されてゼロワンを立ち上げた橋本が新日のリングに再び登場し、長州力と対戦したわけですが、当時犬猿の仲と噂されたこの二人の一戦はまともな試合にはならず、お互いがほぼガチンコで殴りあう展開になり、ここで解説席にいたドラゴン藤波がリングに上がり試合をストップさせてしまいました。これが新日の歴史上とても有名なドラゴンストップなのであります。まあ何というか、決してプロレスの名勝負ではないですし、実際に会場のブーイングは凄まじいものがありましたが、男と男の果し合い的な感じがしてとても強く印象に残っている一戦です。(本音を言うと、心の中で私は「ドラゴン余計な事するなよ」と思っていた)

橋本真也対トニーホーム

まさかの連敗を喫したトニーホームとの異種格闘技戦。しかしこのトニーホーム戦の連敗により少しの間プロレスのリングから離れていた時に習得した技が水面蹴りでした。そして復帰して再びトニーホームと対戦した時はこの水面蹴りがポイントとなり見事トニーホームに雪辱しました。当時、私はプロレスが最強だと思っていましたので、レスラーがボクサーに連敗したのはとても歯がゆかったです。だからこそ橋本がトニーホームに雪辱した時は本当に嬉しかったですし、正直ホッとしました。これjはもう10年以上前の事なんですよね。懐かしい。

橋本真也対UWFインターナショナル

団体のプライドを懸けた戦いでした。団体対抗戦となった95年10月9日の東京ドーム大会で中野龍雄に完勝した橋本は翌年の4月29日の東京ドームで当時IWGPチャンピオンだったUインターの大将、高田延彦のタイトルに挑戦しました。私はこの頃高田がプロレス界最強だと思っていて(のちにそれは大きな間違いだったと分かったが・・・)この記事のコメントでさくまろさんが言っているように私も「高田!なぜ本気で蹴らないんだ。なぜ顔面を蹴らないんだ」とイライラしながらテレビを見ていた事を覚えています。ただ、やはり技の重みを考えると橋本の出す技はどれも説得力がありすぎでした。特にフィニッシュにつなぐ垂直落下式DDTは見た目でも破壊力抜群でした。最後は三角締めでベルトをダッシュした橋本でしたが、高田最強論者だった私は正直高田が負けるとは思っていなかったので、気持ち的にはかなりブルーになっていました。ただやはりこの頃の新日は勢いがありましたし、その団体で当時トップを張っていた橋本はUインター勢とは比べものにならない程輝いていました。

橋本真也対小川直也

橋本真也のプロレス人生を左右するきっかけとなったと言っても大げさではない小川直也との遭遇。初対決は97年4月12日の東京ドームでした。元々橋本はこのドーム大会でパンクラスやUFCで活躍したウェイン・シャムロックと対戦が決定していましたが、シャムロックが突然WWF(現WWE)入りを表明し、東京ドーム大会をドタキャンした為、プロ格闘家に転向宣言をしていた小川直也との対戦が急遽実現しました。この試合は橋本絶対有利と言われていましたが、大方の予想を覆し、STOからの裸締めで小川が勝利しました。その1ヵ月後の5月3日の大阪ドーム大会では橋本が顔面蹴りで小川からTKO勝ちし、リベンジを果たします。フィニッシュとなった顔面蹴りは寒気がするほど凄まじい衝撃でした。

3度目のシングル対決となったのは2戦目から1年8ヵ月後の99年1月4日東京ドーム大会でした。この期間中に小川は肉体改造に成功し、アントン総裁が旗揚げしたUFOのエースに成長していました。そしてトレードマークだった柔道着も脱ぎ捨てていました。この試合で小川はルール無視の暴走ファイト(ガチンコ?)を仕掛け、橋本をほぼ戦闘不能に追い込んだ。特に最後に小川が放った蹴りは第二戦のフィニッシュで橋本が小川に叩き込んだ蹴り以上に衝撃が凄かったです。(あれは本当に容赦なかった)
結果は無効試合でしたが、誰が見ても勝者は小川だったと思います。そしてこの試合の後にあの有名な「新日ファンの皆さん、目を覚ました下さい!」のマイクが小川から生まれたのです。

試合後は新日軍とUFO軍が大乱闘。飯塚にボコられた小川の子分(当時)の村上が病院送りにされ死にかけるというアクシデントが起こるなど、非常に後味が悪かったのですが、たぶん小川の暴走ファイトはアントン指令だと思いますし、よく考えるとこの頃からアントンが新日に対し余計なちょっかいを出してきて、新日がおかしくなり始めたのではないかと思いました。

4度目のシングル対決は99年の10月11日の東京ドーム大会でした。前回の試合後、小川の無法ファイトに対して怒った坂口社長(当時)はUFOとの絶縁を宣言していましたが、社長がドラゴン藤波に代わり、ドラゴンとアントンのホットラインから急遽、橋本対小川の4度目の対決が実現する形になってしまいました。社長交代はどう考えてもオーナーであるアントンの陰謀であり、アントンに対して「NO」が言える坂口より、優柔不断でアントンに対して「NO」が言えないドラゴン藤波の方がアントンも意見が通しやすいと考えたからだと思います。

私が橋本に対してイマイチ理解出来なかったのは、小川との初対決で敗れた後、アントンと決別し、脱ぎ捨てたはずの「闘魂伝承」のガウンをこの試合では再び着ながら入場した事でした。この橋本とアントンの関係はこのあともくっついたり、離れたりを繰り返すわけですが、やはり橋本にとってアントンの存在は、たとえどんな仕打ちを受けても師匠である事には変わりないのかなぁと思いました。

ドラゴンがレフェリーを務めたこの試合は小川が持っていたNWA世界ヘビー級選手権として行なわれました。試合内容は橋本が頭突きやローキックで小川を攻め込みますが、小川がSTOを連発して形勢を逆転させました。フラフラになりながらも執念で立ち上がってくる橋本に対してドラゴンは最後まで試合をやらせてあげたいという気持ちから、試合を止めようとはしませんでした。しかし、そこに立会人のアントンが登場して勝手に試合を止めてしまいました。(確かアントンはいきなりリングに上がってきて小川を殴ったような記憶が・・・)そして最終的にはドラゴンから小川のTKO勝ちを宣せられました。もはやアントンの言うとおりに事を進めるドラゴン・・・レフェリーの権限すらありませんでした。

「小川強し!」を印象付けたこの試合。それは今までブーイングが多かった小川に対して、試合後小川コールをするようになった観客の反応が全てを物語っていました。逆に橋本に対してはブーイングが浴びせられました。しかし、何度やられても立ち上がっていく橋本の姿にはプロレスラーの意地を見ました。私としては橋本対小川の抗争の中ではこの試合がベストバウトだと思います。


4度目の対戦の後、2000年1月4日東京ドーム大会で橋本は飯塚を、小川は村上をそれぞれパートナーにしてタッグマッチで対戦しました。この試合は村上の蹴りで飯塚が戦闘不能になるのですが、新日のセコンドがリングに上がり大混乱となり無効試合になってしまいました。しかしここでアントン総裁が登場して試合続行を宣言してしまいます。そして復活した飯塚が村上を裸締めで下し、橋本組の勝利となるのですが、どう考えても村上が飯塚を戦闘不能に追い込んだ時点で村上のKO勝ちだったと思います。

2000年3月11日横浜アリーナで行なわれた力道山メモリアル大会。イベントの総指揮を任されたアントンは何を思ったか橋本&小川組みを提案し、本当に2人のタッグチームが実現してしまいました。対戦相手は天龍&高田組が浮上していましたが、高田が辞退した為、天龍&ビックバンジョーンズ(外国人マスクマン。名前は忘れましたが元新日の留学生という噂)組みになりました。そして当日はとんでもない事件が起こってしまいました。
会場入りする橋本を村上が襲い、橋本は血だるまにされてしまったのです。普通なら村上は暴行罪で逮捕でしょうが、そうならないのがプロレスです。(こういう言い方はよくないですね)結局橋本は流血したまま試合をして、パートナーの小川との連係もなく、最後はジョーンズにやられてしまいました。村上に橋本を襲わせたのはアントンの仕業でしょうが、この時ぐらい橋本が不憫に思った事はありませんでした。ちなみにこの日アントンは、ジャニーズのタッキーとお遊びプロレスをして、フォールを奪われていました。


5度目のシングル戦。橋本は引退を懸ける事になりました。アナウンサーの辻よしなりの自伝を読むと、引退を懸けなければならなくなったのはテレ朝からの申し出だったらしいです。要するに、当日にゴールデンタイム放送をするテレビ局としては何か大きな目玉が欲しかったという事です。これが「橋本真也34歳負けたら即引退スペシャル」なのであります。
私はさすがに今回は橋本が勝つだろうと思っていました。それは別に八百長とか言うのではなく、長年プロレスを見てきた人間の勘が絶対橋本が勝つと予想させたのです。
運命の2000年4月7日東京ドーム大会。この日私は新卒として入社した会社の同期と新宿中央公園で花見をしていました。もちろんテレビ放送は録画して、家に帰ってからゆっくり見ようと思ってました。そうしたら花見の途中で大学時代の友人から電話があり、そいつは私が電話に出るなりいきなり「橋本が負けちゃったよ~。(実況の)辻さんも泣いているよ~」と発しました。それを聞いた私は「てめ~!俺はビデオを録画して後で見ようとしていたんだよ~ 結果を言うなオラ~!」と取り乱しましたが、すぐに冷静になり、負けたら引退の事を思い出しました。

家に帰ってから録画したビデオを見ました。坊主頭になりこの一戦に懸ける意気込みを感じさせた橋本はローキックやDDTなどで小川を追い込み、STOに対しても喰らわないように踏ん張っていましたが、結局最後は小川のSTO6連発の前にKO負けしてしまいました。
意味が分からなかったのは悲壮感が漂うリングに登場したアントンがいきなり必殺のダー!をやり、締めてしまった事です。これにはさすがに観客も引きまくり、ダ-!に参加した観客はごく僅かしかいませんでした。アントンことアントニオ猪木、あいつの頭の構造はいったいどうなっているのか本当に分かりません。

橋本はこの試合のあと、1度は引退しますが、ファンの復帰嘆願を受けて引退を撤回し、2000年10月9日の東京ドーム大会で復帰を果たします。しかし試合後に橋本は独立を宣言して、11月13日付で新日本プロレスを解雇となり新団体「ZERO-ONE(ゼロワン)」を設立。そして2001年3月2日に元新日の大谷晋二郎らと共に両国国技館で旗揚げ戦を行なうのでありました。

小川戦に関しては書き出したら止まらなくなり、かなり長文になってしまいましたが、この小川との抗争により、橋本のプロレス人生は大きく変わったと思います。この抗争がなければ、独立してゼロワンを旗揚げする事はなかったかもしれないですし、ハッスルだって誕生しなかったかもしれません。そういう意味では、まさにプロレス界の歴史を変えるきっかけとなった抗争だったと思います。
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by hirajun-51 | 2005-07-15 23:39 | スポーツ